書評:『零戦』

『零戦』
堀越二郎(著) 2012年

 本書の原本は1970年初出。太平洋戦争期で最も有名な旧日本軍機である零戦の主任設計技師、堀越二郎が自ら書き起こした回顧録で、貴重な開発記録でもある。出版社を変えながら現在まで約半世紀の間、版を重ねていることからもわかるように、多数の読者を獲得している。

 著者が航空機設計者としてたどった昭和初期から太平洋戦争敗戦までのキャリアはそのまま、日本航空界が世界の後進国であった地点から懸命にキャッチアップし、独創的な技術を身につけ機体設計の最先端に踊り出る過程に重なっている。本書では、著者が主任設計技師として初めて携わった七試艦上戦闘機、成功作となった九試単座戦闘機および制式採用版である九六式艦上戦闘機、十二試艦上戦闘機および制式採用版である零式艦上戦闘機(零戦)の設計、開発経緯が時代背景とともに描写されている。なお、零戦設計の後に著者が設計主任として関わった雷電、烈風についてはほとんど取り上げられていない。

 当時の軍用機の設計は軍(堀越の場合は一貫して海軍機を担当したため海軍)担当者から詳細な要求仕様が数字として下りてきたものに対して複数の会社が試作機を設計製造し、コンペによって制式採用もしくは不採用が決定されるというものである。機体設計の主任とは、エンジン、プロペラ、兵装、降着装置といった主要パーツを既存のものから選んで組み合わせ、機体設計を行い一つの飛行機としてまとめ上げる役割である。飛行機に空を飛ぶための形状を与えると同時に、制約条件のもとに多種類の数値目標を達成するため、優先順位を付けるプロデューサーもこなさなければならない。

 戦後になって、零戦に各種防弾装備(燃料タンク、風防、乗員保護の防弾板)が付いていないことが、パイロットの人命・損耗軽視の設計思想であるという批判が一部からなされた。これに対し著者は発注時に優先的に要求された仕様に防弾性能が含まれていなかったこと、また当時のパイロットたちが防御力よりも軽快な操縦性能から生まれる攻撃力を好んだからだと答えている。しかし著者の反論を待つまでもなく、アメリカに比して戦闘機用の大出力エンジンを持たない当時の日本では、防弾装備が充実していながら戦闘力でも勝る戦闘機を作ることははじめから不可能であり、機体の設計者にも軍の仕様策定者にも、その選択肢は与えられていなかったといえる。

 海軍から示された零戦の仕様が過酷だったのは、最高速、航続距離、格闘戦性能、強力な兵装、短距離離陸性能などの主要な性能を全方位で世界最高レベルとする、万能性への要求だった。実際、競合の中島飛行機は試作段階で開発から降りている。通常このように無理な要求仕様がなされるのは、発注者が政治的に無能で上席者の願望を聞きすぎているか、あるいは技術理解度が貧弱なことが原因になっている。しかし著者は過大な要求仕様に苦しみつつも、これが無理解から来る理不尽であるとは記しておらず、海軍航空廠側の技術者、パイロット、航空機運用担当の将校を相当程度信頼していたに違いない。 

 本書の技術的な面は語りつくされている感があるのでいったん措くとして、印象的なのは、七試艦戦から零戦までを設計していた時期に堀越が過ごした技術部設計課(三菱重工業の名古屋航空機製作所)の闊達な雰囲気である。休憩のときにはゴルフスイングをしたり脇の運河でボート遊びに興じたり、牧歌的とも言える環境の中で社員は技術を追求していた。彼もまた、軍の最高機密に属する最先端兵器を開発するという使命を課されながら、精神的自由を持った知的エリート集団の一員だったことが伺えるのである。

 零戦の試作機である十二試艦戦の開発が始まった1937年の前年には二・二六事件が起き、帝都東京では戒厳令が敷かれた。翌1937年に支那事変が発生し、1938年には国家総動員法が制定されている。世は異常事態である。そんな中、著者の世情観察、戦況分析は軍国主義への傾倒もなければ天皇崇拝の熱狂もない、リベラルで冷静なものである。三菱入社後すぐ期待のエース技術者候補として、昭和恐慌のさなかにもかかわらずヨーロッパ、アメリカに1年半派遣されていたという堀越の体験がそうさせたのかもしれない。しかし太平洋戦争が進んで敗色濃厚となっても、不思議なほど恬淡とした筆致で状況を綴っているのである。私の勝手な推量だが、著者は戦後になって諸々の政治的思想や倫理観を吐露することを自ら抑制したというより、その非凡で独創に満ちた自らの能力を航空機技術者としてのみ発揮して一貫する決心をしていた、と見える。

 結果として、勝利の栄誉と敗残の零落両方を一身に背負った零戦の生みの親が残した本書は、意外にも悲劇的な読後感をさほど残さない。文章が簡明的確であることからも、知情意に特に秀でた技術者による賞賛すべき工学的アプローチの記録であることが際立つ。しかしそれ以上ではないともいえる。あまりにも割り切れているところが割り切れない、との感を抱く。