書評:『化石の分子生物学』

『化石の分子生物学』
更科功(著) 2012年

 まじめな一般読者向け科学書らしく、ストレートに内容を表した書名である。本書では化石に含まれているDNAやタンパク質を特定することで解明されるさまざまな謎を取り上げ、最先端の古代DNA研究で分かってきた興味深い事実を紹介している。また1980年代の黎明期から今日までの有名な研究例をたどりながら、現代の研究レベルではどのような古代DNA分析が実現不可能なのかについても率直に解説している点に好感が持てる。

 古代DNA分析とは何か。それは生きている状態、または死後すぐの細胞からとったDNAではなく、剥製やミイラ、化石化した細胞から抽出したDNAを分析するという研究分野である。このような分析を可能にした要素のうち最重要のキーとなる技術は、1980年代中ごろに開発されたポリメラーゼ・チェイン・リアクション法(PCR法)である。PCR法によりDNAを容易に何千万倍にも増やすことが出来るようになったため、少数で短い断片しか取り出せない古代DNAを分析する道が拓かれた。しかし同時に、PCR法がほんの少しのDNA断片すら検出してしまうために、対象となる生物とは別の生物のDNAが外部から混入するのをいかに除去するかということがこの分野の本質的な難しさとしてつきまとうことになった。

 数百年から数十万年前の古代DNA断片を増幅し、分析することは、DNAの保存状態がよければ可能であることが多くの実験と追試から確認されてきた。では映画「ジュラシックパーク」のように、恐竜やその時代の生物のDNAを取り出すことは可能なのだろうか?

 本書には1千7百万~2千万年前のクラーキア化石床から取られた植物化石のDNA、2千5百万~4千万年前のコハク中に閉じ込められたハチ、シロアリのDNA、さらに1億2千万年前のコハク中のゾウムシのDNAが検証された方法と過程が紹介されている。しかし結果は残念ながらすべて否定的で、実験の過程で外部から異なる生物のDNAが混入し、それを誤って対象のDNAと誤って報告したものと結論付けられている。(恐竜の末裔である鳥類を除く)恐竜が滅びたのは6千5百万年前だから、それよりかなり新しい化石のDNAでも検出できていないことになるのだ。DNA情報から恐竜を現代によみがえらせるジュラシックパークは夢のまた夢といえる。

 今のところ、DNAを直接を取れるのは、どんなに保存状況が良くてもせいぜい数十万年前までの生物に限る、と考えなければいけないようだ。では化石の分子生物学は、化石の古代DNA検出だけしかやりようがないのか、といえばそんなことはなく、本書には二つの新たな試みが収められている。

 一つ目は、現代の生物のDNAと遺伝子科学、化石を組み合わせて、生物進化の歴史を解明しようというものである。古生代の最初の時期に当たる5億4千万~4億9千万年前のカンブリア紀には、動物の多様性が急激に増し、硬い殻や脚、高度に発達した眼など複雑な構造を持つ生物がいっせいに現れた。カンブリア紀の爆発として知られるこの現象は、多くの動物がいっせいに硬組織(外骨格、骨、歯などを形成する鉱物でできた組織)を「発明」したことが契機となっていると考えられる。硬い組織の周りに筋肉をつけることで素早く動けるようになったり、身体そのものを大きく出来るようになったり、他の生物に対する攻撃・防御に有利だったりするからである。そこで著者は、巻貝や二枚貝などの軟体動物がカンブリア紀に殻を作るようになった際に活躍した遺伝子を明らかにすることをテーマとした。先述のようにこの時代のDNAやタンパク質は残っていないので、現代に生きている生物のDNAやタンパク質から推測する必要がある。ここでは細胞外マトリクスに含まれ、現代のヒラマキガイの貝殻形成にかかわるタンパク質であるダーマトポンティンに注目すると面白いことが分かった。研究当初の予想とは異なり、カンブリア紀に貝殻を形成するのにこのダーマトポンティンは関わっておらず、後の中生代以降になって関わるようになったと見られる。そしてカンブリア紀に貝殻獲得したメカニズムにはある種類の炭酸脱水酵素が寄与していたらしい。貝殻を作るための遺伝的メカニズムは単一ではなく、別の遺伝子を流用しながら実現され、かつ生物進化の過程で何回か変更された可能性があるのである。

 二つ目の興味を引く試みは、鉱物化した恐竜の化石からコラーゲンが見つかるかもしれないというトピックである。2005年、アメリカ・モンタナ州で見つかった6千8百万年前のティラノサウルスの化石から血管や赤血球らしきものを含む有機物が発見された。加水分解されやすいDNAは無理としても、より保存されやすいタンパク質なら残っているかもしれないという可能性が検証されている。暫定的な結論としては残念ながら外部からの混入の可能性が高く、これは恐竜のタンパク質ではないだろうということである。しかし世界中の研究者たちがお互いに科学的な批判的な検証を積み重ねながら、15年前には考えられなかったような、壮大な夢の世界に挑んでいる姿は素晴らしい。

 新書としてそれほど字数が多い方ではないが、トピックの数としてはかなり詰め込んだ印象で、それぞれの章が独立して一冊になっていてもおかしくない内容である。用語もどんどん出てくるので、この分野にあまり馴染みのない読者であれば、大学学部生向けの分子生物学の教科書を辞書代わりに手元に置けばより楽に読み進めることが出来るだろう。2013年講談社科学出版賞受賞。