書評:『切手と戦争』

『切手と戦争』
内藤陽介(著) 2004年

 特定非営利活動法人日本郵便文化振興機構の代表理事を務め、郵便学を提唱する著者が「切手という小窓から昭和史の一断面を覗き見る」というテーマで新書に書き下ろしたユニークな一冊である。本書では特に昭和の戦争、すなわち1931年(昭和6年)9月の柳条湖事件端を発する満州事変から、1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争敗戦まで途切れることなく続いた戦いの間、大日本帝国とその占領地に何が起こっていたのかを切手とはがき、封書のカバーから探ろうと試みている。

 上のようなテーマを設定したときに切手のどこが興味深いのだろうか。まずは郵便事業が情報を国土の隅々まで行き渡らせる上で極めて重要な国家事業であることがあげられる。切手は料金前納を証明する証紙であり通常は国家機関や公共郵便事業体により厳密に管理されるべきものである。また別の側面として、切手や消印の図案自体が国家の宣伝媒体として機能する点があげられる。為政者はさまざまな手段で国民や支配地域の住民にメッセージを送るが、特に戦時には支配者が誰なのかあやふやな状況になることもある。切手と郵便事業の運用はその時々の微妙な世情を映し出す鏡になっているのである。

 宣伝媒体としての記念郵便印(消印)として、国家総動員精神運動の一環として資源回収イベントが開催された際のものは興味深い一例である。1938年10月に大阪で行われたこのイベントでは、記念の郵便印に空き缶と瓶の金属ぶたが描かれたものが使用され、国民に金属の資源回収を呼びかけている。資源小国日本の悲しい現実を表しているのだが、注目すべきはその時期である。1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに支那事変(日中戦争)に突入してたった1年、また太平洋戦争開戦まで未だ4年もあるこの頃、すでに戦争遂行のための金属が足りず国民に身のまわりの協力を呼びかけるまでになっているのである。戦争の規模に対して国力が絶望的に不足していることは一般市民の目にも明白だったに違いない。

 1940年に日本は、フランスがヨーロッパでナチスドイツに敗北した機に乗じ、フランスのインドシナの領土保全を認めた上でフランス領インドシナに進駐する協定をヴィシー政府と結んだ。対米開戦直前のこの頃、日本軍はハノイ経由で英米が蒋介石に援助物資を送るルートをふさぐため、一刻も早くこの地に進出して軍事占領下に置きたかったのである。これ以降終戦まで北部仏印および南部仏印は、名目上はフランスが主権を維持しながらも日本軍が実効支配するという不分明な権力構造の下に置かれた。この時期に出された手紙の封筒は仏印当局発行の切手が貼られ、フランス側の消印で抹消されているため、主権国であるフランス側が同地での郵政事業を継続しているのが分かる。しかし同時に「河内(ハノイ)憲兵検閲済」の印が押されており、実質上の支配者は日本軍であることを一通の封書がはっきり示しているのである。

 日中戦争が泥沼化する中で、関東軍は万里の長城を超えて中国本土の奥深く侵攻し、北京、南京と次々に占領地を広げていった。しかし蒋介石政権は重慶に拠って断固たる対日抗戦を続け、中国における日本の主権を認めなかった。この結果、関東軍の実効支配地では軍事的な支配が一応成立してしているものの、中国の人々は日本に恭順することなく、安定的な行政の確立には至らないという状況が生まれた。このような経過の後、対米開戦と同時にイギリスに宣戦布告した日本軍は香港を攻撃し、間もなく占領した。日本による郵政業務が再開されるのと同時に、直轄占領地である同地では日本の切手や消印による運用が開始されたが、中国の他の地域では中華郵政(中国国民政府の郵政)による郵便システムが稼動していたのである。この頃香港から広州経由で桂林に出された一通の手紙がある。宛名と差出人には「(中国人)」と但し書きが付いていることから臨時郵便取締令により、中国内での中国人同士の手紙なのに「中国人」と身分を書かされていることがわかる。この封書は日本切手が黒く塗りつぶされされた状態で届いたが、料金不足で受取人から追加徴収された形跡はない。軍事力による支配を受けながらも、中国人は日本軍による香港占領の正当性を認めていないことを日本切手の否定で表し、抗議の意を明らかにしていたことを物語る封筒である。

 戦争を切手から観察するという行為には、意外なほどの奥行きがあることが分かる。郵政事業は国の威信をかけた「建前」であり、また国際的に構築された巨大な実務システムであると同時に、建前だけでは押しつぶせないひとりひとりの目的のためにやりとりされる手紙を運んでいるからである。期せずして市民生活の地が滲み出ると言ってもよいだろう。歴史書の記述と個人が経験することの狭間に何があるのか、切手に残された痕跡は化石のように多くの情報を運んでくれる。切手収集趣味にまったく興味がない読者にも、先入観を捨てて手にとってもらいたい一冊である。