書評:『モンゴルと大明帝国』

『モンゴルと大明帝国』
愛宕松男、寺田隆信(著) 1998年

 世界第2位の経済大国、中国を隣国として生きることを宿命付けられている日本人として、中国の歴史を知ることは欠かせない。現代の中国人が持つ自己帰属意識、社会観、文明間はその歴史の堆積が表出したものであり、意識的・無意識的に行動原理を規定するからである。
 
 近年、世界の強国として自己認識を深めた中国の指導者が、南シナ海への海洋進出の根拠として明帝国時代の鄭和の大航海に言及するということがあったが、決してこじつけや思いつきで引き合いに出しているわけではない。これをもって中国共産党の指導部が明帝国の復活を目指しているというのは単純にすぎると思うが、明帝国の記憶を現代中国人のアイデンティティの一部として呼び覚まそうとしているのは間違いないのである。

 とはいえ、歴史にも連続している部分と断絶している部分がある。仮に私達がいま「天平文化を取り戻せ」と言われたとしても全くピンとこないわけだが、これは奈良時代の文化が現代日本人の生活や思考の様式に深く食い込んでいないからである。つまり各時代の切れ目で前の文明を引きずった側面と不可逆的に切り替わってしまった側面を意識して理解しなければ、歴史と現代社会との関係は見えてこないのだ。

 本書は1974初出の原本を文庫化した歴史書だが、一般的な中国史では<宋・元>および<明・清>とまとめることで元と明の間に非連続性を見るのに対して、<モンゴル帝国・元・明>という一冊にまとめたところに著者らの思想が込められている。すなわちモンゴル人による征服王朝である元朝とこれに対する漢民族王朝復興運動としての明朝という断絶を強調するだけでなく、明朝がモンゴル帝国の後継者を志向する側面を多く持っていたと主張するのである。

 元朝と明朝の連続性に専ら目を向けることにすると、まずフビライ・ハーンが開いた大都(明代に成祖永楽帝が改称して北京となった)を両王朝は共通の首都とし、政治・消費経済の中心がこの地であったことは大きい。もともと北方の異民族が侵入したとき戦場になりやすく気候も厳しい華北と、最も豊かな穀倉地帯である江南の経済力には数倍から数十倍という差があった。当時、中央政府というのは政治や軍事をつかさどるだけではなく最大の消費者でもあったため、二つの地域が経済的に結合して税、米、商品の流通が循環し、一つの巨大な経済圏を作ることになったのである。元朝、明朝はともに中国全土を支配する帝国となったことでこのような経済の一体化を可能にしたが、生産力の南北格差は結局解消されることはなかった。経済力が大きく異なる地域が一つの王朝に内包されている時、権力への求心力が失われればまずここに亀裂が入る。異なる文化・実質的に異なる税制の矛盾がそれぞれの王朝末期に顕在化し、困窮した農民による激しい反乱を招来することになったのである。

 また明朝はその初期、永楽帝の時代に限っては特異的に、元朝が持っていた「東アジア帝国」建設の欲望を濃厚に継承していた。周囲の異民族を征服して領土拡張を目指したという点で、冊封の伝統を重んじ周辺他民族の地に直接支配の手を積極的に伸ばさなかった他の漢民族王朝と際立った対照を見せているのである。永楽帝は万里の長城を越えて何と5回ものモンゴリア討伐軍を自ら率いている。また女真族が住む東シベリア地域へ出兵し、遼東から黒龍江の下流域まで支配地域を広げた。さらに南方では安南(ベトナム北部)へも派兵し短期間ではあるが中国領土に編入した。この頃、明帝国の時代では最大の版図を実現する。

 そしてイスラム教徒の宦官、鄭和による西洋下りが永楽帝の命で行われる。この艦隊は8000トンクラスの大船62隻に将兵2万7千800余名が分譲するという壮大なもので、この時代にあって飛びぬけた規模を持つ世界最大の艦隊であった。1405年から1433年まで、計7回を数えた大航海は南シナ海、インド洋からアラビア海に渡り、鄭和はアフリカ大陸東岸にまで到達した。商船と軍艦の区別がない時代のことであるから軍事力を伴う艦隊であったが、その航海の目的は海外の国々に明との交易推進を勧誘し、さらに遠く珍しい宝物を買い入れるためのものだった。結果として東西の海に交流が生まれ、特に東南アジアと明は海上交易路により結ばれることとなった。

 この頃、対明朝貢国は30余国を数え、日本も足利義満が「日本国王」に封じられて朝貢国となっている。日本が中国の朝貢国となったのは飛鳥時代から現在までの中で、室町時代のみであることからも、日本にとってこの朝貢貿易がいかに「名を捨てて実を取る」旨味があったのかをうかがい知ることができる。

 15世紀初めの東アジアには束の間、明帝国を中心とする国際秩序が完成した。しかし永楽帝がモンゴリア征伐の陣中に没して以降、明は巨額の出費を強いられる対外積極策を放棄し、漢民族国家として内向きになり守成の時代に入る。よって膨張主義を強める現代中国の指導者達が人民に明帝国を意識するよう呼びかけるとすれば、それは漢民族王朝建国の太祖洪武帝時代でも、国力が全盛となる宣宗宣徳帝の時代でもなく、永楽帝時代の事跡のみを規範にすると考えられるのである。

 近年では、モンゴル帝国および元朝(大元ウルス)に関して、遊牧騎馬民族の側から見た世界帝国建設という観点で歴史学上の新たな研究成果が数多く発表されるようになった。一方で本書は執筆当時の主流であった、漢字で残された資料に依拠した中国史、すなわち中原、江南の漢民族から見た王朝の変遷という立場を取っている。本書は若干乾いた記述ではあるがバランス良く各分野をおさえており、モンゴル帝国~元~明時代理解の基本文献として、最新の書籍を読む際にも手元に置くのに好適である。