書評:『ヴィクトリア女王』

『ヴィクトリア女王』
君塚直隆(著) 2007年

 連合王国(UK)の人々が大英帝国のかつての栄光を思い起こすとき、それはヴィクトリア女王が君臨した19世紀半ばから20世紀の初頭をおいて他にない。またシャーロック・ホームズの世界としてこの時代のロンドンの喧騒に親しんだ読者も世界中に多くいるだろう。本書はその63年もの長きに渡った治世の間、世界とヨーロッパのかたちに強力な影響を及ぼし続けたヴィクトリア女王の時代を、主に女王の視点から描き出した伝記である。本書には、女王が一生を通じて書き続けた膨大な量の日記を調査した成果が随所に収められている。個人的には幾多の悲劇に見舞われながらも、威厳と勢威を失わなかった女王の内面が、直截的な表現に徹した筆致から浮かび上がってくる。

 ヴィクトリア女王が生きた時代は各国に君主が依然として残っていたが、イギリス市民革命、フランス革命に始まった国民国家への大きな流れは止めようもなく、ヨーロッパ全域とロシアにひたひたと押し寄せていた。連合王国はヨーロッパ先進諸国の中ではいち早く立憲君主制へと舵を切っていたため、国内政治において女王は初めから王権と政府とのパワーバランスを巧みに取ることを要求されたのである。一方で国際関係においては、王室外交の力は依然として圧倒的であった。
 
 ヴィクトリア女王は18歳で即位したときから聡明で君主としての威厳を備えていたとはいえ、初めから強力な国家の統率者だったわけではない。そして政治についての関心も、外交や立憲君主制の維持、大英帝国所領の拡大と団結といった、限られた分野にのみ向けられていたようである。またヴィクトリア時代の大英帝国には文学、科学などの分野で特筆すべき文化が花開いたが、女王はこの方面にさほど惹きつけられなかった。

 女王の政治への関わり方は、ザクセン=コーブルク公爵家から迎えた夫であるアルバートとの実質的な共同統治であった時代と、夫と死別した後とではっきりと異なる様相を見せている。保守党に露骨に肩入れし、政府や外相の方針にも遠慮なく介入しようとした(クリミア戦争におけるロシアへの強硬姿勢など)女王に対し、政治的バランスに優れ、教養人でもあったアルバートは議会や政府との信頼関係を築くことに成功した。42歳という若すぎる死に先立つ晩年には、ホイッグ党、保守党、ピール派、急進派に党が割れて政党政治が混迷する一方で、アルバートによって政府・議会に対する王権は一時的に強まったのである。ヴィクトリア女王は4男5女をもうけたのだが、20代から30代半ばまでは毎年のように妊娠・出産を繰り返していたこともあって、この頃は政治に対して比較的消極姿勢であった。しかしアルバートの死後はロシアおよびヨーロッパ列強のほとんどの王室に子どもたち、孫たちを持つ「ヨーロッパの祖母」として、また七つの海に広がる大英帝国の女帝として、政府に対して世界の大国として強く振舞うことを次々に指示してゆくのである。

 40代以降にさらに顕著になった女王の政治介入は、人間的な熱量の大きさと相まって国際政治の場において、自国を含むヨーロッパ各国のパワーゲームを方向付けることとなった。この頃はまだ、各国の王室メンバー同士の親戚ネットワークや信頼関係が国の外交方針を左右していた時代である。女王自身もオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世、ドイツ帝国宰相ビスマルク、ロシア皇帝ニコライ二世(ニコライ二世皇后アレクサンドラは女王自身の孫である)などに対して、個人的な好悪で露骨に相手国への外交・軍事対応を変えている。

 しかし女王の積極姿勢は国内政治において逆方向に作用し、議会政治システムが女王の口出しを制約する結果につながったといえる。この時期には現代にまで続く二大政党制が確立し、連合王国の立憲君主制は新たな段階に入っていたのである。ディズレーリ、グラッドストンという対照的な大物政治家が現れてそれぞれの立場で国家の近代化を進め、議会は民衆と地主貴族階級の利益を代表しながら漸進的に自らの体制を作り変えてゆく能力を獲得していた。女王はディズレーリを寵愛する一方で、自由主義を奉じて王権を軽んじるグラッドストンを蛇蝎のごとく嫌ったが、ディズレーリもまた政治を女王の自由にさせたわけではなく、やり過ごしと恭順を組み合わせてうまく付き合う努力を怠らなかったというべきなのである。

 ヴィクトリア女王が生まれた1819年はナポレオン戦争が終結し、ヨーロッパに絶対君主が統べる国家によるウィーン体制が敷かれた頃であった。19世紀の中ごろには多くの王国は立憲君主制に移行するが、女王が死の床についた1901年、その周りに集まった面々の各国王室はまだ健在であった。しかしこの後すぐ数十年のうちに、君主たちの命運は国ごとにはっきりわかれてゆく。

 連合王国は、19世紀のヨーロッパ列強の中にあって例外的に立憲君主制と近代国家としての政体の折り合いをつけることができ、現在に至っている国である。保守的で王権の維持に頑迷だが世界の流れを見通す能力を持ち老獪であった女王と、ヴィクトリア時代が輩出した数多の優れた政党政治家達の知恵がぶつかり合いながら、今日まで続く政治体制への道を拓いたのである。