書評:『文明が衰亡するとき』

『文明が衰亡するとき』
高坂正堯 (著) 1981年

 著者はあとがきで「何よりもこの書物は、比較的軽い気持ちで書いたということである」「この書物は歴史散歩といえよう」と韜晦しているが、第一級の歴史研究の成果を踏まえた奥深い考察が収められている一冊である。

 文明の衰亡を論じた名著は数多い。ギボンは古代ローマの歴史書を著すにあたり、「ローマ帝国史」ではなく「ローマ帝国衰亡史 (The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)」と題した。なぜこれほどに人は衰亡論に惹きつけられるのだろうか。本書はまず、<衰亡論>論から始めるのだが、著者の文明観がここで披瀝されているといってよい。

 だから、衰亡論はわれわれに運命のうつろい易さを教えるけれども、決してわれわれを諦めの気分におとしいれることはなく、かえって運命に立ち向かうようにさせる。

 ローマ帝国の優れた衰亡論をものした人々はロストフツェフしかり、ブルクハルトしかり、またベルナルディもそうなのだが、その彼らが今生きている時代の社会が抱える危機・懸念をローマ帝国衰亡の原因と見た。鋭い時代意識がローマ帝国の分析に彼らを向かわせたのである。

 過去に繁栄した文明の衰退原因を研究することでによって現在自分が属する文明の衰退が避けられると主張する楽観論は無理がある。かといってある文明の衰退は抗いがたい時代の流れで、運命として受け入れるしかないという悲観論にも与することはできない。文明衰亡論を読むことの真髄は、「文明は壊れやすいものだ」という感覚を持つこと、そして文明の衰亡(興隆も)が、いかに多くの外的・内的要因の組み合わせによってもたらされるのかを思い知るのかという点にあるのである。

 著者もまた、アメリカの衰退と日本の退潮を、過去の文明衰亡論により把握しようとした。本書が執筆された当時の1980年代初頭、アメリカは50年代のまばゆく幸せな絶頂期が過ぎ、ベトナム戦争の蹉跌、ソ連の軍事的脅威増大、日本の経済的な躍進などを経て長期的な衰退を実感させられていた。日本もまた1968年に西ドイツを抜いてGNP世界第二位となったものの1973年の第一次オイルショックにより高度経済成長が終わりを告げ、日本の工業製品輸出増大を根幹で支えていた自由貿易体制を脅かす保護主義的な国際政治の波が押し寄せてきていたのである。

 日本の問題を考えるとき、著者が特に共感を持って重ね合わせているのは、資源はないが長きに渡り地中海に繁栄した海洋小国家、ヴェネツィア共和国である。ヴェネツィアはオリエント世界につながる海路・陸路をおさえるイスラーム商人と北西ヨーロッパとの仲介者として東西貿易、香料貿易で莫大な富を築き上げ、13世紀後半には東地中海の制海権を握る強国となった。

 しかしこのように単純な図式の下に理解した気になってしまうと事実は全く見えてこない。実証的な研究が明らかにするのは、16世紀前半に衰退に向かいながら、ヴェネツィアはなお一世紀もの間、地中海最強の通商国家であり続けたということ、またこの時期にヴェネツィア最良の絵画、演劇、建築といった文化が一気に開花したということである。ヴェネツィアを強大ならしめた通商的、軍事的国際環境が消えても、人々はあらゆる工夫を重ねて、国家の命脈がすぐに尽きることは無かった。

 著者がついにヴェネツィアの息の根を止めることになったと考えるのは、人々の精神の変化である。「自由な精神と開放的な態度の衰弱」が、激変する環境から人々の目を背けさせていき、さまざまな形をとって現れた。例えばヴェネツィア=レバント貿易に外国船籍の船を使用することを厳しく制限するなど、自国海運業に対する保護主義的な各種政策がとられるようになった。またスペイン・教皇庁による思想的な圧力に自由で合理的な文化が押され、不寛容の精神が蔓延していった。ガリレイはパドヴァ大学を去り、疫病が起これば公衆衛生や疫学に原因を求めることなく神の怒りのためとされるようになった。こうして1000年続いた共和国はゆっくりと滅亡に向かったのである。

 偉大な文明の衰亡史を丹念に追っていると、現代において、大きな社会集団やひとつの国家の成功・衰退の原因を指摘する自称「識者」の各論、あるいは我々自身の認識が、なんと思い込みに満ち、データや根拠に欠けているものかと気づく。そして著者が衰亡論を通してスポットライトを当てた1980年代の諸問題は、40年近くたった今でも驚くほど現代性を帯びている。名著である。