書評:『帝国の参謀』

『帝国の参謀』
アンドリュー・クレピネビッチ、バリー・ワッツ (著)、北川知子 (翻訳) 2016年

 軍事や政治、経済の表舞台にほとんど登場することもなく、また大組織を操る影の支配者でもないのに、かくも長くアメリカという世界最強国家の国防戦略に強い影響を及ぼし続けた人物が存在する。それが本書の主人公、アンドリュー・マーシャルである。

 マーシャルは1949年、ランド研究所に入所した時から2015年に93才でネットアセスメント室(ONA)の室長を引退するまで一貫して公職にあり、1973年からシュレジンジャー以後全ての国防長官、ニクソン以後全ての大統領(注:これは原書刊行時である2015年1月までのことで、マーシャルは第二期オバマ政権のときに公職から退いたことになる)に仕えた。これは政府高官として異例の在任期間である。

 冒頭に著者が述べているように、本書はマーシャルの伝記を企図したのではなく、彼の知の軌跡をたどり、功績を明らかにするために書かれた。そしてその中核をなすのが「ネットアセスメント」であるが、定義は専門家の間でもはっきりしない、この行為を巡る試行錯誤がマーシャルの残した業績そのものと言ってよい。

 ネットアセスメントとは何か、それは国防の観点からアメリカと仮想(潜在)敵国の実質的な力の差を(=「ネット」)、評価する(=「アセスメント」)するということである。ONAはこの目的を遂行するためだけに設立された国防総省内の小さな部局で、マーシャルはそのリーダー、教育者、ONA外人材への知的結節点として40数年を過ごした。

 マーシャルの際立った特徴は、ネットアセスメントのミッションをあくまで正しい問題の設定と評価、判断材料の提供に限定したことで、戦略の決断・実行と自分の役割の間には厳しい一線を引いた。この姿勢によって自らの立場に政局が与える影響を最小にでき、10年単位で彼我の戦略を見通し、また分析と提言を行うことが可能になったのである。ではアメリカの優位を保ち敵の脅威に対抗する目的のため、正味の力の差、ネットはいかにして評価すべきなのだろうか。

 マーシャルがランド研究所に参加した50年代初頭、アメリカはソ連の核ミサイル開発競争でまだ優勢を保っていたが、ほどなく大陸間弾道ミサイルに搭載可能な水爆の開発で両者は並び、大量核保有時代に突入する。両国を隔てる海や距離が安全を担保してくれなくなり、核戦争により国が壊滅するほどの攻撃をお互いが防げないという状況があっという間に出現したのである。

 しかしゲーム理論に基づく分析や相互確証破壊の概念を単純に適用すればよいという認識では、現実に対応できないということがすぐ明らかになる。マーシャルは、キューバ危機のように戦争につながりかねない危機における意思決定のモデルではなく、平時の長期的対立における意思決定に焦点を当てた分析に集中し始めるのだ(そしてそれは今日に至るまでの基本的志向となる)。

 ONAが正式に設立されマーシャルが室長に着任されたのは1973年だが、それ以前からネットアセスメントが扱うべき対象が膨大な領域に渡ることは明らかだった。ソ連軍が組織としてどのようなドクトリンに基づき彼我の戦力を評価し意思決定するかという分析、潜水艦の静音技術や探知能力の差による優位性評価、ソ連のGDP推定や生産性の推定、通常戦力による潜在戦闘能力評価など、およそひとりで網羅できるものではない。マーシャルは自組織に有為の人材を採用して教育するだけでなく、シンクタンクや大学の学術的なプロジェクトを支援し、専門家による会議を組織し、軍の人材と大学の研究者を交流させるなど、ネットアセスメントに携わる人的集団を育てるディレクターになってゆくのである。

 冷戦末期の1985年、マーシャルがワインバーガー国防長官に提示したのは有名な「コスト強要戦略」、すなわちアメリカにとって最小のコストを払いながら、ソ連がアメリカに軍事上対抗するために払うコストを最大化するという競争戦略である。マーシャルとONAは、CIAが当時試算していた数字とは大きく異なる経済推計をはじき出し、それを根拠としてソ連経済が遠からず軍事支出に耐えられず自壊するという評価をしていたのだ。そして6年後、ソ連体制は核ミサイルをアメリカに一発も撃ち込むことなく崩壊する。

 一個人の洞察力とそれに裏打ちされた戦略構想がどんなに卓越していたとしても、これだけ長期にわたって一貫性を持った方針を国家という巨大な組織群に浸透させることは普通出来ない。一国の指導者にとってすらほとんど不可能である。もしマーシャルが時代に即した強力なドクトリンとその信奉者を育てていたなら、彼の影響力は時の政権とともに忘れ去られたに違いないし、少なくとも冷戦の終焉とともに薄れていっただろう。

 マーシャルが残した真に価値ある資産は、あらゆる時代環境に虚心に対峙する彼のアプローチと、データから真実を取り出そうとする姿勢を学んだ、職業分析官、官僚、軍人、研究者、政治家、経済人から成るアメリカの安全保障コミュニティといってもいいだろう。その巨大な影響を受けた人々が現代アメリカの政策決定、学問世界に隆々とした流れを成している。

 マーシャルのONAは最大時でも20名を超えず、彼自身も組織の拡大を望んだことはなかった。これがマーシャルの処世術だったのか、アメリカという国がマーシャルを生かすための組織的な叡智だったのか私にはわからない。ペンタゴンのヨーダと言われた稀代の戦略家は、ワシントンD.C.にブルーラインが開通した1977年以降、慎ましく地下鉄で彼の仕事場まで往復していたという。