書評:『グーグルが消える日』

『グーグルが消える日』
ジョージ・ギルダー(著)、武田玲子(翻訳) 2019年

 世界時価総額ランキングで肩を並べるいわゆるGAFAMの中で、マイクロソフト、 アマゾン、アップル、フェイスブックでなく、なぜグーグル(アルファベット)が本書における敵なのだろうか。答えは、グーグルが明確に掲げる世界観・目指す世界システムが誤っており、必然的に崩壊に向かうと著者が主張するからである。超巨大IT企業への資本集約そのものを問題にしているのではないということだ。

 最初の数章ではグーグルの思想、技術、ビジョン、ビジネスモデルの全てに対する身も蓋もない批判(英語の原著では否定を通り越してもはや悪意に満ちた罵詈雑言の感あり)が繰り広げられているが、ここでうんざりして本書を閉じてはならないと思う。グーグルの戦略に邪悪な意図があるかないかに関わらず、本書の議論はすべて成り立つのである。我慢してもう少し読み進めてみよう。

 ・・・グーグルは、全社的な哲学をつくり上げ、事業の成長とともに人々の生活や運命を変えるという野望を持つようになった。

 グーグル は、世界を席巻する「 知識の理論」と「 頭脳の理論」によって、 貨幣ならびに市場経済の新たな概念と倫理観を提示したのだ。

 一企業が独自の哲学を掲げて戦略に反映させることは珍しくもないが、グーグルの場合は、サービス・製品を通じて人々の生活に浸透するだけではなく、時代の思想、人間観、市場経済のあり方、価値の概念に大きく覆いかぶさろうとしている。GAFAMの中で、さらに歴史上現れた全IT企業中でもこのような世界システムを構築しえたのはグーグルだけである。

 グーグルの「知識の理論」の核は、人間世界を構成するすべての情報へ地球規模でアクセスしビッグデータとしてひとつの「場所」に集積することである。そして対になる「頭脳の理論」とは、人間の脳は本質的にコンピュータであると考え、このビッグデータを驚くほど超高速で処理した結果得られるアルゴリズムが、人間の外界情報処理能力を超えて、超知性体が誕生するという信念だ。

 ハードウェア面でこの哲学を支えるのはワシントン州ザ・ダレスの巨大データセンターを核とし、世界中を自前の海底光ファイバーで結ぶデータセンター群である。営利企業としての存続を支えるビジネスモデル面では、原則すべてのサービスのユーザに対しては無料としつつ、Facebookと合わせれば世界のネット広告収益の7割を占有するとされる広告事業により、コンテンツの製作者、広告主、メディアオーナーから莫大な利益を徴収する。

 しかし技術とビジネスの驚異的な達成ともいえるグーグルの体制にもきしみが見えている。ハード面では、ギガワットクラスの発電所を必要とするような巨大データセンターと大陸間・都市間を結ぶ光ファイバーという組み合わせからなるアーキテクチャーによって、データを一元管理するという体制の拡大スピードが、サービスの急激な要求増大に対し物理的に追いつかなくなっている。無料をを可能にしている「デジタルサービスでは限界費用ゼロ」の前提が崩れてきているのである。ちなみに、グーグルがデータセンターに必要とする電力は、四国全体のそれに迫っている。

 他方ビジネス面では、無料サービスの原資となっている広告の効果が減じてきており、最重要の顧客基盤である広告出稿者に提供する価値が下がっている。不要な広告を見せられるということは、コンテンツが無料であったとしても、人間にとってもっとも貴重な資源である時間を浪費させられることを意味する。ユーザが不要な広告のブロックに積極的になった結果、スマートフォンでの広告クリック率は実質0.03%にまで低下している。またAIによる音声アクセスでの検索に向かった結果、その検索インターフェースの特性上、グーグルの検索連動広告における優位性は失われてしまうだろう。ユーチューブは他の有料動画サービスとの激しい競争の渦中にあり、買い物の検索ではアマゾンにユーザが流れている。

 さらに置き去りにされてきたセキュリティ問題が顕在化する。あらゆる種類の個人データを一か所に集積すれば、いかに複雑な認証システムを導入しようとも、攻撃者の手からデータのセキュリティを守ることはほぼ不可能になる。これは認証局を堅牢に構築するとか、グーグルが個人情報の内部管理を徹底するとか、2段階認証やパズル認証を重ねて導入するとかすれば解決する問題ではない。個人の情報を一企業が一つの情報システムに集積して活用するという根本構造に起因する危険である。

 ギルダーが「クリプトコズム」すなわち「グーグル後の世界」を構成する最重要基本要素と考えるのは、ブロックチェーン(分散された改ざん不可能な電子台帳システム)である。ブロックチェーンが社会に決定的なインパクトを与える領域は、新たな貨幣システムの確立、契約の自動化、新たな資金調達スキームの創造、個人データの所有をグーグル(のようなサイロ)から取り戻すこと、そして計算資源調達の分散化(スカイ・コンピューティング)など多岐に渡る。

 ブロックチェーンの歴史は、2008年にサトシ・ナカモトという匿名の著者がその実装可能性を論文で証明してからのたった10年少々に過ぎないが、その間に世界中から湧いて出た天才といかがわしいプレーヤーが入り乱れ、金銭的な野心と理想主義的な動機が混ざり合いながら確実に大きなうねりとなってきた。

 ブロックチェーン技術初の社会実装として世に出たのは言うまでもなく仮想通貨である。その中では、ビットコインとイーサ(プラットフォームとしてはイーサリアム)が時価総額で現在ツートップであり、本書でもトラブルだらけの泥臭い歴史からそれぞれのプラットフォームの技術的特徴までかなり詳しく述べられている。規制当局とのせめぎあいながらも、仮想通貨が社会インフラとして確立してゆくであろうことはほぼ間違いない。ただしギルダーが仮想通貨の本質について、貨幣やマネーについての歴史を引いて考察している部分は、私見では相当混乱しているように思わる。たとえばマネー自体は商品ではない、需要で価値が変化する商品であってはならないという信念に固執しているところや、現代のマネーが金の総量の安定によって長期的な有用性を担保していると示唆しているところなど、いただけない。

 仮想通貨のほかに、グーグル後の世界の主要基盤として著者が熱をもって論じているのが、ブロックチェーン技術を使った計算機資源の分散化である。ゴーレムやOTOYのような企業が発行するレンダリング専用トークンは、世界中の遊休計算機資源をレンタルしてつなぎあわせ仮想スーパーコンピュータを構成することを可能にする。VR(仮想現実)技術と分散型仮想スーパーコンピュータによって出現するメタヴァースはきわめてエキサイティングな未来の形だ。

 個人情報の帰属という概念にもパラダイムチェンジが起こる。ブロックスタック社をはじめとする企業が提供し始めている分散型個人認証システム、分散型データ保管管理システムをベースにすれば、個人情報やデータを、サービス提供事業者のデータサイロではなく、個人がブロックチェーン上に(ネットワークノードに暗号化して分散して)所有し、データの所有者がサービス提供者に認可を与えられるようになる。グーグルのようなサービス事業者、あるいは国家がユーザデータを囲い込み、一元管理を目指すという野望は時代遅れのものとなっていくだろう。

 内容が広範かつ現在進行形であり、専門的な前提知識を要する章が多いため、正直に言って万人に分かりやすいとは言えない。親切な解説本と思わず、著者に挑戦し、知的に格闘する気持ちで解釈しながら読み進めるのが良いと思う。コンピューティングがもたらす社会変化に興味があるすべてのフロントランナーたちに是非とも一読をおすすめする。

 なお、衒学的で攻撃的、かつ創造的な著者の芸風に直接触れたいならば原著(“Life after Google” by George Gilder, 2018)にあたると良いと思う。本書は晦渋で含蓄に満ちているが、それが翻訳のせいではなく、著者の構想が広く深い領域に及んでいるからであることも、同時にわかるはずだ。