書評:『美女の骨格』

『美女の骨格』
宮永美知代(著) 2009年

 サブタイトルに「名画に隠された秘密」とあるが、名画を題材に美の秘密を読み解く内容を期待すると裏切られるかもしれない。徹頭徹尾、美を支える土台となる頭蓋骨に焦点を当てた、あくまでも頭蓋骨が主役の一冊である。

 著者は女子美大で日本画、さらに東京芸大で美術解剖学を専攻したのち、東大医学部で解剖の実際を学んだ医学博士で、美術解剖学の第一人者である。私が美術解剖というものに初めて意識的に接したのは「解剖の美学(ファンタスティック12 第11巻)」(荒俣宏 編著)を入手したときで、20年以上も前のことだ。荒俣氏が苦心の末蒐集した稀覯本から厳選した図版を惜しげも無く収めたこの画集は、専ら解剖美術そのもののエロティックで審美的な側面を追求した、セゾン系出版社らしい画期的な企画だった。一方で本書は身体の進化と美の変遷の関係を美術解剖学の見地から照らし出そうというもので、より理性的で科学的なアプローチをとる。

 本書では多くのページを割いて、日本人の頭骨の形状がどのように変化してきたかを明快に解説している。お馴染みの縄文顔、弥生顔の特徴も、筋肉や皮膚がついた状態で説明されるよりも頭蓋骨の特徴を挙げられた方がはるかに分かりやすい。また鎌倉時代から室町時代にかけては頭が後方に長くなる長頭型に変化したということも初めて知った。こうして当時の有名人がどのような顔(頭)をしていたのか想像すれば、肖像画を見る楽しさに奥行きが生まれる。

 そして江戸時代に特徴的に見られる貴族形質と庶民形質の違いのところでは、アッと思わされた。幕末、明治初めの貴人たちのぼんやりした写真にも細面で鼻が高い貴族形質の特徴は見て取れるのだが、私が思い出したのは東銀座の歌舞伎座に飾られていた、明治以降現在に連なる名優たちの顔写真である。歌舞伎は血筋のつながりが色濃く残る伝統芸能だが、いくつかの家系には、本書に貴族形質または「殿様顔」として記されている骨相そのものがはっきりと現れているのだ。それは現在活躍している歌舞伎俳優たちにも容易に発見することができる。

 顔の美について縄文時代から現代にかけて、方向性が一貫している変化は何か。それは顎、特に独立したパーツであるがゆえに形が変わりやすい下顎の萎縮なのだという。生活スタイルの変化によって咀嚼する力は徐々に必要でなくなり、数千年の間に日本人の下顎は細く小さくなる方向に進化してきた。これに伴い、噛み合わされる上顎とその周辺を支えるある頬骨も小型化しているのだが、そのスピードが下顎の小型化より遅いために、相対的に下顎が後退した顔つきになってきているのだ。あまりにも「同世代の顔」から外れていると美しいとは見なされなくなる。その時代の平均的な頭蓋骨からこの「顎が小型になる進化」をちょっとだけ先取りした女性が時代の美の基準になるという著者の解釈には説得力がある。

 絵画の面から見れば顔表現の様式として、顔の内部にある筋肉や骨格構造を塊感のある立体として捉える手法と、顔を輪郭線として捉えて目、鼻、口といったパーツの色、質感、配置にこだわる手法を比べてみれば、歴史上は前者が後から登場した。しかしこれは一方向的な表現手法の進化過程というよりも人間が顔認識をする両極を代表しているというべきもので、現代では両者の表現が並存している。視覚のメカニズムとしては、暗いところで支配的に働く視細胞である桿体細胞は立体としての頭蓋を光と影で塊として捉え、明るいところで支配的になる錐体細胞は顔のパーツをシャープなピントで捉えてくれるのである。一般にはこの両者が融合した形で顔を見ているのだが、状況や意識の持ちようによってはどちらかの極端な見方が前面に出てくることになるのだ。

 なるほどと思い、暗い夜の街路を走る車を眺めてみた。日産GT-Rの開発・販売責任者を務めた水野和敏氏の自動車評論の中に「よくできたヨーロッパ車のボディデザインというのは三次元的で塊感のある面によって構成されており、逆にボディの面に表情・変化がないデザインだと車がただの鉄板に見えてしまう」という意味のことが書かれていたのを思い出したのだ。暗がりを走る車は立体とうねりが強調されて見え、単なるデコレーションの凸凹に過ぎない表面と、力を内包するような曲面の表現の差は、昼間より一層明らかに映った。

 大人の顔の表情もまた、仄暗い灯りの下でこそ陰影を際立たせるのだろう。バーが暗いのはこんなところにも理由があった。