書評:『情報参謀』

『情報参謀』
小口日出彦(著) 2016年

 ネット上の発言や情報がリアルな人々の行動を変えうることを否定する者はもはやいないだろう。しかし数年前までは、インターネットに触れることがない人々にネットが与える影響は、ほとんどないとみなされていたはずだ。それでは潮目はいつ変わったのか。政治の世界においては、それは2010年11月だったということになる。本書は下野時代から第二次安倍政権発足直後まで、足掛け4年にわたり自由民主党の情報戦略において参謀役を果たした著者の生き生きとした現場録である。

 情報参謀とはいうものの、例えば軍隊における参謀、すなわち作戦の立案・指導までを行う職責をイメージしてはいけない。著者は政治の世界の中で自分の役割をかなり控えめに設定しており、情報をタイムリーにまとめ、的確に定量化して政治家に判断してもらうという一線を踏み越えることはほとんどない。よって情報の水先案内人、カーナビに自らを例えているのである。

 物語は第45回衆議院総選挙で自民党が民主党に歴史的大敗を喫し、野党に転落した2ヵ月後の2009年11月に始まる。著者は自民党本部で茂木敏光報道局長(当時)に対して、テレビ報道やインターネットにある言説の情報を読み解くことの力を示し、そこから前例の無い、情報分析の体制構築がスタートするのである。

 そもそものきっかけは、テレビ番組をCMも含め365日24時間すべてデータベースに記録し、人力で内容についてのメタデータをつけているエム・データ社、インターネット上のブログや掲示板の書き込みを記録してデータベースを構築しているホットリンク社、東大の松尾豊、末並晃両氏が開発した予測数理モデルの三つを組み合わせて、著者らのグループが2009年の総選挙予測をし、情報分析の実績を作ったことである。ここで一定の成果を挙げたものの、自民党に雇われた初期の段階では分析の主力は明らかにテレビを対象としたものだった。ネットは一般世論を反映していたものの、世論に与える影響はまだ大きくなかったからである。

 手探りで体制構築する中で、始めは週1回のレポート報告体制が組まれ「情報分析会議」が発足した。そこで浮かび上がったのは、野党となった自民党のテレビ露出が、批判的な報道を含めほとんどゼロになってしまったという衝撃的な事実だ。自民党は一時、テレビで無視されていたのである。この事態を何とかすべく、地道に政治トピックと時系列変動の分析が繰り返されていった。注目すべきは茂木敏光、平井卓也、世耕弘成といった実力派の中堅議員が最初から情報分析の取り組みを重視して本プロジェクトにコミットし続けていたことである。自民党議員の人材層の厚さを示しているともいえるが、政権奪回に向けてこの時期の危機感がそれだけ強かったということだろう。

 2009年の惨敗後初の国政選挙となる参院戦を前にした2010年4月には、過去情報の分析から情報分析を積極活用した作戦を立てるために、茂木議員がテレビ報道分析をデイリーにするよう要請。朝8時台までの報道番組によって「世論は朝つくられる」ことに対応した、朝10時30分に報告書が完成する体制が著者らによって出来上がった。

 そして2010年11月3日と4日に続けて起こった二つの事件、すなわち民主党小沢一郎議員のニコニコ動画出演、および現役海上保安官による中国漁船尖閣衝突映像流出事件が、政治とネットの関係を一気に塗り替えてしまう。ネット上の言論・情報と政治が結びつき、テレビとも相互増幅しあって一般世論を動かすようになった日本で始めてのケースである。著者らはリアルタイムにテレビとネットの政治情報を定量化していたため、この現場にはっきりとした実感をもって立ち会うことになったのである。これ以降、「情報分析会議」は分析だけでなくネットを使った情報発信にも積極的な提案を強め、有権者に対する双方向の情報戦略に乗り出してゆく。

 政治による情報分析というと、とかく情報統制、情報操作といった猜疑的な印象論に傾きがちであるが、私たちは果たしてどれくらい具体的な事実に基づく議論をしているだろうか。本書で明らかにされている手法は、実はマーケティングの世界で普通に行われているマスメディア分析、口コミ分析の政治応用に過ぎないことが分かる。また彼らが分析を通じて導いた結論は「不信任や問責よりも、政治は真っ当なことをやらなければ国民の支持を得られない」という当然のものなのだ。

 2013年に著者らがこの情報分析から外れてから後も、政治の情報化はその複雑さを増す一方である。新たに出現したフェイクニュース問題、SNSによるエコーチェンバー問題などから私たちは目をそらすべきではない。本書は日本政治史におけるテレビ・ネット情報分析黎明期のダイナミックな記録としても価値が高いものだ。