書評:『入門 東南アジア近現代史』

『入門 東南アジア近現代史』
岩崎育夫(著) 2017年

 本書は、著者が日本貿易振興機構(ジェトロ)のアジア経済研究所、および拓殖大学国際学部というキャリアを通じて東南アジアの政治、経済、社会を研究する中で得られた成果をもとに書き下ろされた近現代史である。よって、いわゆる歴史学者が書いた近現代史書ではなく、2015年に誕生したASEAN経済共同体(AEC)に日本はいかにして向かい合ってゆけばよいのか、という目の前のテーマに収束するように構成されているのが特徴である。

 ASEANに参加した国々を俯瞰するのに「多様性と統一」というキーワードを著者が導入したのは絶妙で、一見して共通項がない数多くの東南アジア諸国が緩い連合を志向し、1967年にたった5カ国で始まったその輪が広がっている状況を直感的に言い表している。人口、国土面積、国土の成り立ち(島嶼国、山岳国、大陸沿岸国、都市国家)、政体(民主主義、社会主義、一党支配、軍政、絶対王政)、言語、宗教(仏教、イスラーム教、キリスト教)、経済構造(一次産品輸出国、産油国、貿易国など)のいずれも幅広く多様であり、地域に共有される文化的背景もない。古くは強力なインド文化圏と中華文化圏に挟まれ、また近代以降は西欧各国の勢力下にあって、宗教文化や政治システムが外部から伝来してはそれを受容して土着化させるというのが、ASEAN以前の東南アジア地域の歴史だったのである。そこにASEANが地域連合として、どのように統一性をもたらしてきたのだろうか。

 ASEANはもともと自由主義5カ国(タイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、フィリピン)が、ベトナム戦争でアメリカの後方支援をする目的で作った、反共産主義地域同盟の性格が強かった。このため当初は5カ国間で経済協力は行われず、それまで同地域に現れては消えていった地域機構と同様に自然解消すると見られていた。しかしアメリカがベトナムから撤退し、1976年になると潮目が変わる。新たに成立した敵対的な社会主義国家(ベトナム、カンボジア、ラオス)に対し、政治体制の違いによる安全保障の危機を乗り切るため、ASEAN諸国は軍事的な対立よりも経済協力により関係強化するという道を選んだのである。実際の経済協力は冷戦後の1990年以降にならないと本格化しないが、この時点で内政不干渉、武力不行使、紛争の平和的解決、という三原則が定まった。

 ASEANが謳う共同体構想の中で、安全保障共同体、社会文化共同体に先駆けて、経済共同体に向けた取り組みがもっとも先行している。東アジア、南アジア経済圏に対抗しながらEU、アメリカ経済に対しても交渉力を強めないと、中小国の集合体であるASEANはグローバル経済の中で埋没してしまうという危機感が、各国の思惑を越えた共通意識としてその推進力を支える。一方でEUが目指しているような、参加各国の経済主権の一部をEUに委譲するような形の経済統合は、ASEANの目標にはなっていない。その理由は地域の歴史によるところが大きく、本書でも国別にまとめられているように、西欧諸国による植民地化の経緯に直接の原因がある。

 16世紀から19世紀にかけて東南アジアにはポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランス、アメリカが押し寄せ、それぞれに支配地域を得たが、その結果経済・社会・政治のすべての領域で大きな変化が起きた。経済的には、西欧列強が植民地獲得に進出したインド、アフリカ、中南米と同様に、地域ごとに特化した一次産品の開発または天然資源の開発(モノカルチュア化)が大規模に進められた。社会的にはインド人・華僑労働者の大量流入や植民地国家による勝手な境界線変更により、土着国家時代の基本だった単一民族社会から多民族社会へと短期間に転換することになった。さらに政治においても各宗主国が支配のために整備した官僚、医師などの知識人、軍人養成システムの有り方が、独立回復後の各国のスタート地点を決定付けた。

 ASEAN諸国はそれぞれの地理的条件に多様性を持ち、(タイを除き)植民地支配からの独立回復の過程や第二次世界大戦後の発展の経路も大きく異なることが本書を読めばよくわかる。大きな内戦を経験した国々もある。それらの条件を所与として、グローバル経済の中で生き残りを模索する中で編み出された現実的な解がASEAN共同体であり、東南アジア友好協力条約であった。拘束力の弱さと引き換えに、国民統合がゆるやかな東南アジア諸国の実情に配慮した対応を可能にする知恵ということができる。

 先達の努力があって日本は、東アジア、南アジア諸国に比べて、幸運にもASEAN諸国の人たちとは良い関係を作りやすい環境にある。しかし国情は千差万別でひとつのイメージでまとめるのは間違いの元である。本書で大きな流れを掴んだら、あとは掘り下げて知りたい国の各論に進めば良い。この広大なテーマに対して新書サイズでコンパクトに密度高く情報を整理した本書は、特にビジネスパーソンや東南アジア史に興味を持ち始めた読者におすすめである。