書評:『アーティスト症候群』

『アーティスト症候群』
大野左紀子(著) 2011年

 2008年初出の同名単行本を文庫化したものである。著者は芸術大学で彫刻を専攻し、20年ファインアートの作家として活動した後にアーティストであることを止めた人物で、ブログやツイッターを通じて既にご存知の読者もいることだろう。

 「アーティスト症候群」というからには「アーティスト」志向の人々に強烈な批判を浴びせる内容であることは容易に想像できるが、著者もまたかつては筋金入りのアーティストだったわけで、骨がらみというわけである。さらに美術予備校講師としてアーティストを再生産する側にも立っていた経験もあり、アーティストという存在に対して<自意識><他者><業界のインサイダー>という三つの視線から批評を加えたのが本書である。

 アーティストが世の中に溢れている。アーティストは免許制ではないので、自らそう名乗れば誰でも今日から立派なアーティストだ。アーティスト界隈とは、自他共に認めるアーティスト、技能なき自称アーティスト、気分でアーティストになりたいワナビーから成る巨大な集団である。

 アーティストとは言うまでもなくアートを作り出す者だから、アーティストとは何かという疑問はそのまま、アートとは何かという問いにつながる。しかし語義矛盾にも思えるが、日本におけるアーティストなる肩書きは、どう見ても現代アートシーンとは関係のない領域にまでやたらと領域を広げているのだ。この拡大解釈はおおむね1980年代に入ってから顕著になるのだが、著者の調査によれば業界によって「アーティスト」氾濫の経過はかなり異なっている。

 ポピュラー音楽業界では、ミュージシャン側の自意識というよりは、資本の側に「アーティスト」というブランディングを行う動機があった。シンガーソングライターや映像も含めたトータルなイメージを作れる外国人ミュージシャンのように、自分の世界があるミュージシャンの格上げ要素として使われていた「アーティスト」の称号は、ほどなくす大手レコード会社やメディアによってあらゆるミュージシャンに適用され普及していった。逆に言うと、ぽっと出のアイドル歌手から紋切り型のJ-POPミュージシャンにまで使いすぎてインフレを起こし、もはや格上感はないのである。

 しかしポピュラー音楽業界以外のジャンルでは、他者からの格付けよりも、アーティストと呼ばれたい、という自意識がより濃厚になってくる。アーティスト活動を売りにする芸能人については実名で、よくもまあというほど冷徹な解説付きで切り捨てているので、こちらは読んで笑い転げるのもよし、ファンなら憤慨するもよし。

 さらにはかつては職人に属していたはずのフローラルアーティスト、ヘア・アーティスト、メイクアップ・アーティスト。ファインアートの世界が守り育ててきたアーティストの称号を、格上げ要素として美のアルチザンたちが勝手に名乗り始めたのである。しかしここらへんから、本家のアーティストの立場も相当怪しくなってくる。「こいつらなんかアーティストじゃない」と一刀両断できないのである。

 かつては美と贅沢を提供する職人の一団だったものが、独創性と常識・規範転覆の視点を世に問うことで自らを差別化し、地位を高めてきたのが近代以降のアーティストである。しかしデュシャン以降のアートは定義の自由化が急速に進み、思想性は込められていなければならないが、ありていに言えば美しくなくてもよいしモノでなくてもよい、さらにハイカルチャーに属していなくてもよい、というところまで進んでしまっている。そこに、独創性も作家性もあり、美しいということについては誰もが文句を付けにくい、花やきれいな顔づくりを専らにする職人たちがアーティストを名乗って逆上陸してきたとき、本流のアーティストは再び「アートとは何なのか」を問われてしまっているのだ。そしてアートの定義をこのレベルでしようとすると、何だかとても陳腐な要素に落ちこんでしまうのである。

 身も蓋もない言い方になるが、アーティストになりたい病とは、自分が生み出す美は、俗でありふれたきれいさとは違うのだ、という<クラス感>への憧れ・自意識に自分で気づいていない状態のことである。一方で真剣にアートを追求する王道のアーティストたちは、自分の技術と主張を詰め込んだモノをその時代の観客に差し出して、鋭い意見が打ち返されてくるのを待ち受ける、という社会との勝負を続けているのだ。低レベルのアーティスト症候群患者とアーティストの差は画然としている。

 しかし著者がアーティストを廃業するに至ったのは、あるいはもうすこしややこしいアーティスト症候群が自らの裡にあることに気づいたからだろう。現代アート制作においては、現代アートの文脈を踏まえざるを得ず、実際に優れたアート作品はそうしている。ところがアーティストたちが切り拓いた自由化の果てに底が抜けかかっているはずの現代アートの文脈・定義は、現実にはアート市場や美術館、美術教育システムを含む「アート業界」が下支えして、解体するどころかがっちりと内輪を形作っているのだ。アーティストのピア・レヴューを歪める元凶ともいうべきこんなアート文脈に乗っかって、「アートにしかできないモノを作るアーティストでありたい」という自己規定は何なの?という疑問である。そこですっぱりアーティストを廃業しつつ、アート業界からは足を洗っていないあたりが少し面白いわけだが、それが著者なりのアートの愛し方なのかもしれない。

 理が勝った内容なのでアーティスト症候群患者当人には向かないが、「最近『アーティスト』が多すぎではないか」とご不満なアート部外者にはぴったりの、気楽に読める一冊。