書評:『スキタイと匈奴 遊牧の文明』

『スキタイと匈奴 遊牧の文明』
林俊雄(著) 2017年

 片や前8〜前7世紀の西アジアにおいて歴史の舞台に現れ、前5〜前4世紀の黒海北岸で全盛となったスキタイ。片や中国北方の草原地帯に前3世紀頃登場し、前漢・後漢と互角の死闘を繰り広げた匈奴。定住することなく一生を馬上で暮らすこの二つの騎馬遊牧民は、文字を持たず自らの歴史を書き残さなかったが、東西文明の「歴史の父」ヘロドトスと司馬遷によって、文明の破壊者・簒奪者としてその名を知られることとなった。

 では逆に騎馬遊牧民を主語にした歴史・文明を語ることはできないのか。これが著者の静かだが熱い思いである。当時として驚くほど具体的な記述により彼らの動静を伝えているとはいえ「歴史(ヒストリエ)」や「史記」「漢書」を精読するだけでは達することができない目標なのは確かだ。本書ではこれら不可欠の基本文献とともに、墳墓や居住地の発掘など最新の考古学的な調査結果を駆使して、スキタイと匈奴が世界文明史に刻んだ足跡を浮かび上がらせている。

 スキタイ、匈奴もそうだが騎馬遊牧民として共通するのは、都市にも農地にも定住せず、馬で草原地帯を常に移動しながら移動式住居に暮らす生活様式である。ここで、都市や農地といった定住地および定住民から孤立して遊牧民の生活が成り立つという、誤ったイメージを持たないよう注意する必要がある。穀物などの食料品や武器、生活物資の入手、交易など、遊牧生活には必ず定住民との交流または都市・農地の支配が伴う。この意味で確かに彼らはそこにいたはずなのだ。

 しかし基本的に彼らの文明は主体的に記録されることもなく、考古学的資料を都市遺跡や定住集落の遺構に発見できるケースは稀である。文明側からの記述となる文献も限られる。では考古学者が何をするかと言うと、主にお墓を調査するのである。

 スキタイの有力者は時として直径100メートル、高さ20メートルを超えるような巨大な古墳を残した。見通しがよい草原地帯で、極めて目がよい騎馬遊牧民にとって、強力なリーダーシップを持つ権力者がいることを誇示するためには、このように大きな墳墓が有効だったと考えられている。また草原地帯において、草地、石といった希少な資源を墳墓の造営にふんだんに使え、大量の馬を儀式の食用に供した跡が見つかるということで、強力な王権が存在した事実が確認できるのである。

 騎馬遊牧民の墳墓発掘調査の歴史は帝政ロシア時代に遡るが、本格的な学術調査はロシア革命および第二次世界大戦後の冷戦により西側世界の研究者から隔絶され、ソ連や中国の研究者の手に委ねられることになった。この間は政治的イデオロギーにより偏向した仮説が支持されることもままあり、研究が停滞した感があった。しかし冷戦終結から時間がたつにつれて、日本を含む世界中の研究者と現地の研究者により共同発掘調査が行われるようになり、次々と新しい証拠が積み上がりつつある。またここでも放射性炭素年代測定技術の進歩が、仮説の変更や発見に大いに貢献している。

 スキタイの文化は南シベリアから草原地帯を西に向かって進み、西アジアのアッシリアやアカイメネス朝ペルシア、古代ギリシアなどの強い文化的な影響を受けながら、独自のものとなっていった。紀元前3~4世紀のアルタイには、戦国時代の中国の絹織物や鏡とともにアカイメネス朝やヘレニズム文化に影響を受けた工芸品が到達している。オアシスの道を拓いた前漢代の張騫から遡ること200~300年前のことである。ギリシアや西アジアが中国を知らず、中国もまた西方を知らない時代に、スキタイによって草原の道で東西の文化は出会っていた。

 ヘロドトスなどごく少数の文献に頼らざるを得ないスキタイに比べれば、匈奴に関しては多くの記述が残されているのだが、考古学的な発掘調査が果たす役割は変わらず大きい。その装飾品の特徴的な意匠は年代、地理的な隔たりを越えてスキタイ、サルマタイとの共通項を色濃く持ち、騎馬遊牧民としてのアイデンティティーを主張する。この時代になるとシルクロードを通じて中国の文物は南シベリアを越えて、中央アジアまで伝播していったが、匈奴など騎馬遊牧民によっても西域に中国文化が伝えられていったことが、中央アジア各地の墓やアフガニスタンにある神殿の遺跡調査などから明らかになっている。

 スキタイはその支配領域内に定住農耕民の集落を持ち、またギリシア人植民都市との交流もあったが、自らは定住生活を送らなかった。匈奴は秦、前漢から後漢のはじめにかけて中国に対して侵略・和平を繰り返しておおむね優勢を保ったが、こちらも中国に同化して定住・農耕生活に移行することはなかった。一般に文明とは都市型定住生活を前提とした諸条件によって定義されるが、この点でスキタイや匈奴に文明的な要素は多くなく、その階段を上がってゆく過程にあったといえる。しかし遊牧国家ならではの文明的要素、すなわち多様性、柔軟性、国際性がゆえに、東西の文明交流に特筆すべき貢献をしたことは大いに強調されるべきであるというのが著者の主張である。

 親本は2007年の初出だが、文庫版にはその後に判明した主要な研究成果も追記されている。そのペースを見る限り、まだまだこの分野の学問的発見は期待できそうである。やや専門的でありながら読みやすく、鹿石や石人といった想像力を書き立てる題材についてもまとまった記述があって楽しい。西アジア、中央アジアからモンゴルに至る草原の歴史の基層を知りたい人に好適である。