書評:『ボロディン弦楽四重奏団創立者は語る』

『ボロディン弦楽四重奏団創立者は語る』
ロスティスラフ・ドゥビンスキー(著)、竹本雅昭(翻訳) 2015年

 ボロディンカルテットは1945年にモスクワ音楽院を卒業したばかりのドゥビンスキーら卒業生によって結成され(ルドルフ・バルシャイがヴィオラ奏者として最初の4人に入っていたことを私は本書ではじめて知った)、1955年にソ連文化省よりボロディンの名を冠することを許可された。以来メンバー変更を繰り返しながら現在まで続くロシアの有名カルテットである。しかし多くの音楽ファンにとって、ボロディンカルテットの輝きを思い出させる演奏は、第一ヴァイオリンが初代のドゥビンスキー、2代目のコペルマンの時代までかもしれない。本書はドゥビンスキーらがカルテットを結成したところで始まり、脱退する1975年で幕を閉じる。その翌年、ドゥビンスキーは西側に亡命する。

 スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ三代にわたるソ連に生きたユダヤ人芸術家の回顧録は、真正のディストピア小説にもなっている。ソ連のユダヤ人というテーマに疎かった私だが、ユダヤ差別の苛烈さと根深さは政権と社会の奥深くまで食い込んでおり、絶望的な状況であったことに驚いた。特にスターリン時代は、ユダヤ人差別に抵抗を表明した各界の指導者が容赦なく暗殺・処刑されるなどまさしく暗黒時代だったのだ。

 六日間戦争(第三次中東戦争)に勝利したイスラエルは、全世界のユダヤ人に向けて母国イスラエルで団結するようと呼びかけた。これに対しソ連は回答書を用意したが、そこにはソ連は反ユダヤ主義を憲法で犯罪として規定しており、ソ連のユダヤ人は他のソビエト人民とともに母国建設に邁進中で、イスラエルの呼びかけは内政干渉として拒否するのだと書かれていた。連邦政府は、内実と正反対のこの声明に、文化・芸術分野のリーダーたちが署名するよう求めた。多くが応じる中、ダヴィド・オイストラフは勇気を持って政治プロパガンダ目的の署名をしなかったのだが、これに対して当局はオイストラフの演奏旅行中に、なんと住居内の一切合財を持ち去ったのである。まったく政治的な人ではなかったにも関わらずこのような仕打ちを受けた病身のオイストラフとタマラ夫人、著者が語り合う場面は言葉に詰まる。考えてみれば、イスラエル国民のうちユダヤ人の出身地割合の第一位は旧ソ連・ロシアだということ自体、ソ連のユダヤ人に何が起きていたのかを窺わせるに十分である。

 1955年以降はロシア国外の東欧諸国、西側でも演奏旅行が許可され盛名を馳せるようになったボロディンカルテットだが、カルテットという親密なアンサンブルを真髄とする音楽形式はソ連の体制下で芸術家として生きるのに深い影を落とした。

私たちのグループはオーケストラではないので、たとえ周囲の演奏家と犬猿の仲であっても指揮者の下で演奏できるというわけではない。カルテットでは、メンバー間の相互理解が本当に必要不可欠なのだ。

 1968年の西ドイツへの演奏旅行では、すでに著者の中でカルテットの精神的な絆は崩壊に向かっている。皮肉なことに、ソ連内でも西側諸国でもボロディンカルテットの名声はいよいよ高まり、国有レーベルのメロディアからも毎年次々にレコードが発売されていた。限られた音楽エリートのみに許された地位を手に入れつつあった頃のことである。

私は自分のコンパートメントに入った。「少し前まで私たちはまだ友人どうしだった。カルテットの練習以外でも集まり、警戒することなく話合ったものだ。それが今では、彼(共産党員で第二ヴァイオリンのアレクサンドロフ)はカルテットのボスのように振舞っている。」
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「カルテットは幸福な家族のようなもので共通の興味を追い求めているという考えは、私が子供だった頃の昔話みたいだ。今や私たちはすっかり大人だが、カルテットのメンバー間で暖かい関係を築くのは是非とも必要なことなのか?」

 激しいユダヤ人差別の中でも、カルテットのメンバーは体制迎合的な面があったにせよ、ユダヤ人であるドゥビンスキーの味方であり純粋に音楽的な同志であり続けていた。しかしカルテットのメンバーに党員を二人抱えたことは、彼らの社会的地位を好転させた(葬式BGMアルバイト専門のカルテットから国際的な名カルテットに!)と同時に、音楽的な自由の精神を徐々に蝕んでゆくことになった。ボロディンカルテットの活動は、ソ連の音楽イデオロギーが自由な音楽の呼吸を圧殺しようとする緊張の中に絶えず置かれていた。その圧力はカルテットの外からも中からも作用したからである。

 ベルクやシェーンベルク、シュニトケをプログラムに入れることが当局を怒らせることを著者は知っていた。しかし真贋の区別がわからない癖に、権力が音楽に意味づけをして排除したり強制したりするのを、芸術家の魂の問題として理解できないし受け入れることができなかった。

 ショスタコーヴィチに請われて、作曲者ひとりの前で出来上がったばかりの弦楽四重奏曲第8番を演奏する場面など、胸を衝かれる逸話も多く収められている。電子出版のみとはいえ本書の日本語訳が世に出たことに感謝せずにはいられない。