書評:『現代アラブの社会思想』

『現代アラブの社会思想』
池内恵(著) 2002年

 冷戦終結後も戦争が絶えることはないが、世界の耳目を集める最大の紛争地域は、文句なしに中東であろう。この20年に中東で起こった戦争や紛争、政権転覆にまでいたる政治イベントは数知れず、中東地域の秩序形成に対するアメリカの影響力が低下し続ける中で、各国の状況は混迷の度を深める一方である。

 かつての日本にとっては、中東から輸入する石油の安定確保のために、アメリカのイニシアティブのもとで最低限の軍事的支援活動を、日本から遠く離れた同地域に限って行えばよいという日和見的な態度を取ることも可能だったのかもしれない。しかし対テロ戦争という新しい形の紛争においては、グローバル・ジハードの名のもとにヨーロッパ諸国、アメリカ本土をはじめ世界のどこでも戦場になりうることが証明されてしまった。日本人であってももはや対岸の火事として没交渉を決め込むということは状況が許してくれない。

 そうは言っても、アラブ人の知り合いもいなければ中東に行ったこともない、イスラーム教の基本についてもさほど知らない日本人(私自身がそう)が、現代アラブ諸国で何が起こっているのかを理解するのはほとんど不可能である。日本にはイスラーム教徒の大規模な移民コミュニティは存在しておらず、普通に暮らしている分にはムスリムに出会う機会も少ない。政治経済の分野以外でも意識的に多面的な情報を収集しない限り、無用の偏見にとらわれ、また誤った対応を支持しかねない。

 本書はアラブ諸国(イスラーム教が支配的で、かつアラブ人を主な構成員とする国で、大雑把に言ってアラブ連盟加盟国といってよいだろう)において90年代からゼロ年代にかけて大流行した終末論を読み解き、そこに底流する民心の変遷を捉えようとしたものである。初出が2002年というのは、本書の出版が言うまでもなく前年に起きたアメリカ同時多発テロを受けてのものであったことが伺えるが、その後アラブの春、イスラーム国樹立宣言からその支配地域の喪失を経た2018年現在でも、本書が与える終末思想の見取り図はアラブ問題の要素理解に対して依然として有効である。今なおイスラーム主義過激派とその支持者たちは宗教的な終末論をプロパガンダに利用し、また受け入れるという形で響き合っているからである。

 本論の起点は1967年である。この年エジプト、シリア、ヨルダン軍は第三次中東戦争においてイスラエル軍に対して6日間のうちに一方的な敗北を喫した。イスラエルによるパレスチナ全域の支配がこのとき始まったのである。1952年のナーセルによるエジプトのクーデター以来の、欧米の植民地主義の抑圧を打破し、アラブ民族社会主義による共和制国家がアラブを統一するという希望がこの敗戦で決定的に挫折した。

 現政権批判の高まりに対し思想的受け皿となったのが民族主義と急進的なマルクス主義を結びつけた人民階級闘争論である。そこに、土地を失ったパレスチナ人による国土回復運動がアラブ人全体の問題として焦点化されてくる。アラブ知識人によりパレスチナ人民の闘争が世界革命の重要な画期として位置づけられたことにより、日本赤軍など地域外部のテロ革命勢力もこの闘争に流入することになった。

 しかし過激なマルクス主義イデオロギーがアラブ世界の希望を担った季節は長続きせず、世界の人民闘争論の退潮とともに世論の支持を失ってゆく。この過程でも、パレスチナへの侵入者であり世界革命の第一歩として倒すべきイスラエル、およびその支援者であるアメリカを、アラブ民族の存在論に関わる絶対悪として敵視する思想だけは持続した。しかしその根拠は「マルクス主義における世界的階級敵」から「世界的陰謀の主体」へとすり替わり、定着したのだという。

・・・ 階級史観が裏切られ、階級闘争による歴史の発展という確固たる方向性を失い、それによって担保されていた民族の尊厳を維持できなくなったところに働いた、知識人の必死の防衛機制といえようか。不本意な歴史の展開を目に見えぬ巨大な陰謀の責に帰し、それとの抽象的な「戦い」を宣言して自らを奮い立たせようとする姿勢が思想の根底に定着した。

 陰謀史観による非合理的な排外意識は、徐々に宗教的な見地による超自然的なイスラエル・アメリカ観にも接近してゆく。それが合流する地点が現在(注:2002年)流行の終末論なのだが、・・・

 民族主義的な人民闘争論の衰えに代わり、時代の気分として受け入れられたのが、理想的だった初期イスラーム教の信仰と倫理規範がアラブ社会が抱える困難を解決してくれると主張する「イスラーム主義」である。「イスラームが解決だ」をスローガンにして、理想的なあるべきイスラーム社会を示した上で、そこにいたる解決方法は具体的に与えないのが特徴だが、この思想潮流の一部からイスラーム原理主義が出てくる。すなわち、理想的なイスラーム的解決状態と現実との乖離を悲観的に捉え、アラブ諸国の現政権やアラブ世界の外部を直接攻撃することで、全体社会、国際社会を縮小・消滅させようという思想である。

 イスラーム原理主義が掲げる極端に社会破壊的・攻撃的な行動指針は別として、依拠している宗教的典拠や陰謀史観自体は、ごく一部の過激思想を持つ少数者だけではなく、カルトに属しない一般信徒にも広く受け入れられていることが問題を根深くしている。為政者側の冷徹な現実主義であるアラブ現実主義は、誇りを傷つけられたまま思想的な出口がないアラブ民族の精神的空白や、政治参加機会を奪われ社会矛盾に怨みを抱えた民衆の疎外感に答えを出せず、民心は国政から離れていた(この歪みが2010年にアラブの春として噴出したことは歴史が証明したとおりである)。このようなアラブの苦境に渦巻くコンプレックスを回収して発展したのが当時の終末論で、コーランとハディース集に示される古典的な終末論にイスラエル・アメリカ陰謀論、オカルト的要素やUFOまで取り込んだ終末的思想が書物として大量に出版されていた。

 アラブの時代精神の現われとして、思想的袋小路に陥ってしまった結果生まれたこれらの「いかがわしい」書物群を取り上げ分析したことに対し、著者はあとがきに暗然たる思いを述べており、不快な作業であったことを告白している。イスラーム教のように長きに渡って多くの信者を維持している宗教は、初期の教勢拡大期を別にすれば、本来ならば社会をラディカルに破壊しないような安全装置を内部に獲得しているものである。それがどのように機能不全に陥っているのかを、オカルト的終末論成立の構造として分析することで、本書は一般読者に分かりやすい視点を提供することに成功している。