書評:『ロシアの論理』

『ロシアの論理』
武田善憲(著) 2010年

 現役の外務官僚(本書執筆時には課長補佐)による、現代ロシアの政治、外交、経済、宗教等の国民生活の分析である。国際政治の激しい変化を考えると書籍としては刊行から若干時間が経っているものの、プーチン体制が安定していることもあり、少しの情報アップデートでそのまま2017年にも通用する内容である。

 ソビエト連邦の情報機関であるKGBでキャリアをスタートさせたプーチンが初めてロシア大統領に当選したのが2000年、47歳という若さでの就任である。ロシア連邦憲法により規定された大統領の任期は4年(2012年以降は6年に変更されている)、3選禁止であるために2008年にプーチンの去就は関心の的となった。この時点で群を抜いて強力な政治力を確立しており、また年齢も若かったため、憲法を改正してまで大統領にとどまるかが注目されたのである。ふたを開けてみれば、腹心であるメドベージェフ第一副首相を後継者に指名し、自らは役職上ナンバーツーである首相として実質的な院政を敷くこととなった。

 メドベージェフ大統領が1期4年の任期を満了した後の2012年大統領選では、さも当然であったようにプーチンが大統領に復帰し、役職を交換する形でメドベージェフが首相となって現在(2017年)に至っている。本書では慎重に明言を避けているが、メドベージェフ大統領をワンポイントではさんで「プーチン王朝」が継続するとの観測は、2010年時点で日本のロシア外交関係者にとって十分有力な説だったように思われる。もしこのまま現行憲法の上限である2期務めるとすれば、プーチンは通算24年もの長きにわたりロシアを支配することになる。

 ロシアは混迷の1990年代を経てプーチンがバトンを受けた2000年以降、着実な経済成長を遂げ、特に原油価格高騰が顕著になった2004年以降は未曾有の高成長となった。ロシアの経済は国内に豊富に産出する石油、天然ガス、石炭に大きく依存しており、依然として発展途上国型の経済構造になっている。国家収入の半分、輸出の3分の2は天然エネルギー資源によるものである。したがってこの経済急成長は経済改革の成功よりも、外部要因である原油価格上昇による幸運ということでほぼ説明がつく。ロシアの場合、中国のように経済バブルが起こったわけでもないのである。

 注目すべきは「プーチンのプラン」が20年というタイムフレームを想定して練られ、天然資源によって得られた富を金融分野、商品経済、国民生活を発展させるために投資してゆくという方針が明確にトップから下達、実行されている点にある。規模は大きいが典型的な開発独裁のスタイルである。

 経済的にはグローバル・スタンダードを追求しつつ、強い国家をつくり、国民生活を向上させるという目標を掲げているという意味では、ロシアが目指す方向は西側の国家と変わらない。プーチンはソ連型社会主義に回帰しようとするイデオロギーを持たないし、国民の支持を得るためにこうするほかないことを知っている、というのが著者のロシア観の背骨を成す見立てである。

 ソ連崩壊後の経済混乱で痛めつけられた国民生活を立て直すべく2005年から約2年に渡って行われた「優先的国家プロジェクト」には、教育、保険、住宅、農業、人口という五つの分野が選ばれた。これらは即効性がある明確な成功を生み出せなかったが、政府支出の10%近くを費やして国家の本気を示すとともに、具体的にプーチン政権が生活の何を改善してくれるのか、国民に展望を与える役割を果たした。また後継プロジェクトが複数立ち上がっていることからも、一過性の人気取りでなかったことが分かる。

 もちろん、西側諸国が重んじる基本的人権や民主主義といった価値観をロシアが共有していないことは明らかである。このため往々にして国際的な軋轢が生じるが、内政、外政、経済、エネルギーの各分野においてプーチンが定めた「ゲームのルール」が上述の国家建設目標から導き出されていると考えれば、ロシアの行動が見通しやすくなり、互いに有益な妥協点に着地できるだろう。これは個人、企業などの組織、そして日本という国家がロシア(もしくはロシア内にある組織)と交渉する際に大事な視点である。

 そして大統領が今何を問題にし、何を解決の阻害要因と考えているのかをもっとも効果的に伝えているのが、市民生活、マクロ経済、外交、安全保障などの問題について大統領自身が国民と議論する姿をテレビを通じて公開する「国民との対話」である。これは国民へのメッセージであるとともに、中央政府と地方機関の指導者たちに対して「どこまで対外発言してよいのか」のラインを示すという隠れた機能があると著者は指摘する。このように非明示的な情報発信スタイルは、国家の重大な意思決定が大統領、首相を含むごく少数の密室会議で決定されている統治体制の裏返しでもある。

 本書刊行から7年が経つ間に、大統領に復帰したプーチンを待ち受けていたのは原油価格下落とそれに直結しているロシア経済の長期低迷である。一方でアブハジア紛争、南オセチア紛争、クリミア侵攻、さらにはトランプ大統領を誕生させたアメリカ大統領選へのサイバー攻撃による介入疑惑など、帝国主義的な動きを強めながら、弱体化するどころかロシアの外交的なプレゼンスは高まっている。ビジネスパーソンとしてこれら最新の動きを観察するにも、本書が提供する洞察は大変価値があると私は考える。コンパクトにまとまった良書である。