書評:『中国文明の歴史<9> 清帝国の繁栄』

『中国文明の歴史<9> 清帝国の繁栄』
宮崎市定(著) 2000年

 本書は明帝国末期の動揺から李自成の乱を経て、満州に勃興した清帝国が中国全土を統一して康煕・雍正・乾隆の三皇帝により黄金期を迎えるまでの時代を扱った、一般読者向け歴史書である。親版は1967年初出だが、中公文庫となって2000年に再版された。

 著者の主張に倣えば北宋から清の滅亡までが中国史における近世に区分されるが、清帝国の盛時というのは、中国が東アジア世界における揺ぎない覇者の地位にあった時期ということになる。東西交流という点ではまだ西欧列強の侵略を受けるのはだいぶ先のことで、中国からしてみればあくまで清皇帝の威光の元で西欧文化を取り入れ、また中国文化による影響を恩恵として他地域に与えるという意識を持っていた時代であった。

 康雍乾盛世を現出させた三帝の中でも、著者は乾隆帝に一貫して辛い評価を下している。戦乱の気風を宮中に残した時代の康熙帝は小さい政府を心がけ、倹約に腐心することで大帝国の礎を築いた。また著者が心中最も共感するであろう雍正帝は、最大限に権力を皇帝に集中する独裁と引き換えに、自身は超人的な努力で山のような量の実務を日々こなし続け、仕事中毒の社長のような人生を送った。
 
 これらの皇帝に対して、乾隆帝は世界最強国皇帝としての威厳と豪奢を求めた浪費の王者であって、そのスケールこそ数層倍大きかったものの祖父・康熙帝の先例を追いかけた保守の人でもあった。在位中に清帝国は中国史上空前の、そして現在に到る歴史の中で最大の領土を獲得し、経済力、軍事力においても繁栄を極めたのだが、これは皇帝の手腕によるものではないという。乾隆帝が自ら誇る十全の武功にも、著者はだいぶケチをつけている。

 乾隆帝が即位したときには、康煕帝・雍正帝を経て清朝は建国の混乱から盤石の専制王権がすでに確立していたことがひとつ。さらにヨーロッパ、アジア、アメリカ世界が貿易によってグローバルに結ばれていたことも乾隆帝に味方した。アメリカ大陸が新たに産する大量の銀によって、世界中が経済活性化に沸いていたのである。これはひと世代前にを自分の帝国を殷盛に導いた王たち、すなわちフランスの太陽王ルイ14世、ロシアのピョートル1世、ムガル帝国のアウラングゼーブらにも吹いた追い風であった。当時、世界最高レベルの生産・消費能力を備えていた清帝国は銀(この時代の正貨)の流出に頭を悩ませることなく経済規模を増大させる循環に入り、輸出超過による未曾有の好景気時代を謳歌することができたのである。

 政治的、軍事的側面と同じかそれ以上に紙幅を費やしている、経済的側面、及び文化史・思想史を論じた記述は本書の白眉と言えるだろう。

 満族王朝に対する攘夷的な思想、中国本来の学問を再興しなければならないとの使命感から始められた考証学は、程なく清朝の体制に反抗する意義をなくしてしまったが、その経学は証拠の正確さを重んじ、従来の古典にあった多くの誤りを緻密に訂正して膨大な業績を残した。しかしこのように文句のつけようがない方法論は学問として窮屈になるのであり、突き詰めすぎるとそこから進めなくなる。どこかで推論や論理の飛躍がないと、学問は人の世を前進させる役に立たなくなるのである。清末の社会変革に際して、上流人士のサロン的学問に変容していた本流の考証学は寄与できなかった。改革・革命運動を鼓吹した思想は、考証学ではむしろ傍流だった黄宗羲や、産業革命に裏打ちされた合理的な西洋思想だったと著者は言う。

 清朝の美術・工芸品が外国に与えた影響について、中国の芸術(特に絵画)が神秘的な異国趣味として17、18世紀のヨーロッパで一世を風靡したものが、19世紀にはすっかり咀嚼されて西洋文化のうちに昇華された消息を述べた部分は、ヨーロッパの美術史家とは視点が異なり興味深い議論が展開されているのだが、本稿では省略しよう。

 では日本に目を転じて、鎖国していた我が国と清朝の文化は没交渉であったのかというと、全くそんなことはなかった。ポルトガルに代わって中国に進出していたオランダだが、本国の工芸品や美術品は当時の江戸の暮らしに馴染まないため輸出が伸びず、日本人が熱望する中国の絹織物やアクセサリーなどを近場の中国で仕入れ、日本にどしどし売ったのであった。日本からは陶器や漆器など、ヨーロッパで高値がつきそうな品物を買い付けたのだが、当時の日本はそこまで価値ある商品を大量に作り出すことができず、差額で金銀が大量に海外流出してしまった。江戸時代中期までの貿易収支は大赤字だったのである。さて著者はどう見るか。

このような現象は、どんなに評価したら良いであろうか。貨幣地金の流出はたしかに憂うべきことにちがいない。しかしこれは先進国に接するときに、必ずといっていいほどしばしば起こる現象である。金銀の流出と同時にはいってくる商品は多くの場合、あってもなくても良い奢侈品である。しかし文化はある見方をすれば奢侈なのである。要するに輸入を永久の輸入におわらしめない心構えがあれば、輸入による一時の正貨流出は別に心配することはないのである。日本の実例がそれを示した。

 読者に異論があろうとも考えさせる、なんとも含蓄に富む名調子である。歴史物語のように思い入れによって論拠の程度を落とさず、歴史書としての矜持を守りながらも読んで楽しいという、大家の芸を堪能できる一冊である。